1601-1700年コーヒーの木がヨーロッパへ、そして世界へ
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コーヒーのおいしさは時を経て、アラビアからヨーロッパへと伝えられていきます。始めはイスラム教徒の飲み物として抵抗があったものの、ローマ法王がこれを認めると、キリスト教徒の間にもあっという間に広がりました。
まず、ローマへ、そして、イギリス、ドイツ、パリへと伝わり、各地でコーヒーハウスが次々とオープンしていきます。コーヒーハウスは、コーヒーを飲む場所というだけではなく、さまざまな文化人や政治家が集う社交の場として、社会的にも重要な役割を担いました。 -
コーヒー歴史年表
1600年頃 | ローマ法王クレメンス8世がコーヒーを「異教徒のみの飲み物にしておくのは惜しい、キリスト教徒の飲み物にせん」と宣言したと伝えられる。<キリスト教徒が抵抗無くコーヒーを飲むようになる> |
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1602 | ローマへ伝わる。 |
1615 | コーヒーがベネチアに伝わる。<コーヒー飲用がヨーロッパ圏へ> |
1641 | 和蘭商館が平戸から出島へ。以後オランダ人が出島にコーヒーを持ち込む。 |
1645 | ヨーロッパ最初のコーヒーハウスがべネチアに開業。<イタリアで一般にコーヒーが飲まれるようになる> |
1650 | イギリス最初のコーヒーハウスがオックスフォードでユダヤ人のジェーコブスによって開業。 |
1652 | ロンドンにコーヒーハウス開店。 |
1668 | 北アメリカに伝わる。 |
1670 | コーヒーがドイツに伝わる。 |
1671 | マルセイユにフランス初のコーヒーハウス開店。 |
1672 | パリにコーヒーハウス開店。 |
1683 | ウイーン包囲失敗でトルコ軍が残したコーヒー豆でコルシツキーがウイーンで最初のコーヒーハウスを開業。 |
1685 | フランスの著名な医師モナンが健康に良いとカフェオレをすすめる。 |
1686 | パリのコメディ・フランセーズに、後に多くの著名人が集うことになるカフェ・プロコールが開店する。 |
1695 | イスラム教巡礼者ババ・ブータンがイエメンからインド・マイソール<インド南西岸>に繁殖力のあるコーヒー豆を伝える。<インドで生産が始まる> |
1699 | オランダがインド・マラバル<インド南西岸>からコーヒーの苗木を運搬しオランダ領インド諸島<ジャワ島>へ持ち込む。これがインドネシアの全てのアラビカ種の先祖となる。<やがて、ジャワ島が大供給地となる> |
コーヒー・トリビア
女人禁制のコーヒーハウス
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ヨーロッパではコーヒーの人気が高まると同時に、コーヒーに対する反対運動が起きました。イギリスでは、1674年、ロンドンの主婦たちが結束して、「コーヒーハウス反対運動」という抗議デモを行います。
実は、当時のコーヒーハウスは女人禁制。コーヒーを飲むと子どもが産めなくなる、肌が黒くなるなどと言われ、女性はおおっぴらにコーヒーを楽しめませんでした。これに怒った主婦たちがコーヒーハウスに入りびたる夫たちを相手に反対運動を起こしたのです。そして、同じことがドイツでも起こります。
ドイツにコーヒーが入ったのは1670年、イギリスより20年ほど後のことで、1679年に初めてのカフェが登場しました。すぐさま人気になるカフェですが、またもやイギリスと同じく女人禁制。怒った主婦たちを中心に激しいコーヒー騒動が起こります。この騒動を風刺喜劇にしたのが、コーヒー愛好家であったあのヨハン・セバスチャン・バッハです。
喜劇の中で、「千のキスよりすばらしく、ぶどう酒より甘いわ。コーヒー、コーヒーはやめられない」という娘にたいして、「コーヒーをやめないなら外出禁止だ。窓から外を見てもだめだ。」と怒る父親。大騒動が起こった後で、娘は「コーヒーを許してくれる男でないと結婚しない!」と歌い上げます。もともとは「お静かに、おしゃべりなさるな」という曲名だったのですが、今ではバッハの「コーヒー・カンタータ」として有名です。
この喜劇は1734年、ライプツィヒのカフェで、バッハ自らの指揮で初演され、大変な評判を呼んだそうです。